2017年7月19日水曜日

「ひきこもり」経験の社会学を書かれた関水徹平さんへのインタビュー


 今回は昨年の深秋に「ひきこもり」経験の社会学というとても大部で野心的な本を出された社会学者、関水徹平さんのインタビューをお送りします。内容はこちら→
 関水さんは東京と横浜でおおむね毎月開催している「新ひきこもりについて考える会」と、その読書会の世話人をされておられます。僕は考える会の読書会にSkypeで参加しているのですが、関水さんのiPhoneを利用させてもらっておりますので、読書会のギリの日によくメールでやりとりをしています。最近は私のほうで簡単に読書会の活用本の感想なども添えるようになり、勝手に親近感を持っています。

 関水さんは大変心配りのしてくださるかたで、意見が濃密で沈黙の時間がほとんどない読書会においても、基本的には寡黙にされているかたなのですが、とはいえ、議論のゆくえも、本の読みも当然深いかたですので、その意味ですごく謙虚さと誠実さに私は「いいなあ」と思うわけです。繊細さとバランス感覚がすばらしい。

 本の内容は当事者へのインタビューあり、いままでの専門家の言説のふりかえりあり、行政の動きを総覧する部分あり、基本的に一番好きな分野であろうひきこもりを通じて考える哲学的な考察もありの、大変意欲的でいわばひきこもり歴史の総括がされている本とも言えるわけで、「とうとうここまできたんだなぁ」という思いはあります。

 この2月にいままでインタビューをさせていただいた横浜中心の4人の元ひきこもり活動家のかたがたに再度集まっていただき座談会を開かせてもらったのですが、世話人のひとりとして「考える会」の中心のひとりが関水さん。ですから、インタビューに協力いただいた活動家のみなさんたちは、ひきこもり関連本や論文のためにフィルドワークとしていろいろなインタビューに応えていますし、研究者の方々などにインスピレーションを与えてこられた人たち。関水さんもメンバーさんにインタビューをしてこの書籍にもその分析を反映して紹介されています。

 ですからひきこもり当事者の自己発信に関して、「ここまで来たなあ」という中に、やはり横浜、あるいは東京などの大都市圏で自身の体験を深く語れる人たち、という留保はつけなければならない面はあるかもしれません。あえていうなら、その限界がやはりあるのもまた、事実かもしれません。それをどう考えるかはまだ課題としてあるのでしょう(私自身がそんな批評家みたいなことを言っていてはいけない気がしますが)。

 話を戻せば、関水さんはとても優しい聞き上手なかた。少年のような瞳で「また自分のこと、喋りすぎ!」の自分の話も「へえ~!」と熱心に聞いてくださいまして、カウンセリングマインドのある人だなぁと思いました。

 僕はインタビューの中で話し合ったとおり、若者の社会保障政策の薄さに着眼している部分に一番重要性を見出したのですが、今回のインタビュー、タイトルが難しかった。
 ひきこもり経験渦中のその人の存在のありようというか、「実存」。そして経験をこじらせてしまう日本の社会保障政策。いわば「構築されている社会」とのその両方に目をこらした大変な力作だと思い、アンキャッチーなタイトルにしました。
 レビューとしては以下の書評が大変見事なので、この書評もご覧になって、ぜひこの本にチャレンジしてくれる人が増えてほしいと思います。

静岡大学教授・荻野達史が読む 『「ひきこもり」経験の社会学』関水徹平著 聞き届けられない絶望…