2016年12月31日土曜日

ヒューマン・スタジオ所長、丸山康彦さんのお話をお届けします。

本年もはや、大晦日を迎えました。
皆さま、どのような一年でしたでしょうか。

本日、今年最後のインタビューとして神奈川県の元当事者活動家の四人目、しんがりとして「ヒューマン・スタジオ」の丸山康彦さんの密度の濃いお話をお届けします。
新年の宵を、遅い時間まで楽しまれるかたも多いと思いますが、別の選択肢としてひとつ、デリケートで深い話をじっくり味わうのも一興ではないかなと。そのように考えるかたがたに、ぜひこの丸山さんの実践活動のお話を吟味していただければと。

この4月に東京で行われた「ひきこもりUXフェス」の翌日に伺った二度目のインタビューですが、冒頭に記したように、二度目のインタビューは丸山さんの支援に関する実践哲学と実際に活動を行っていくうえでの気づきの話にフォーカスをあてたものとなり、このたび久しぶりに読み返して、内容の貴重さぶりにうなりました。このようなお話を無料で伺えることは冥利につきます。

丸山さんの支援の姿勢は、ご本、「不登校・ひきこもりが終わるとき」を読んでも分かりますが、実に深い洞察に基づき、堅実な姿勢で貫かれた、着実で地に足がついたものです。私には「支援」というよりも、「配慮」という言葉こそが丸山さんの実践には適切な気がします。
そして、「配慮」の本質こそ、このインタビューでの語りにおける丸山さんのバランス感覚であり、上つかない姿勢と気づきにそれは尽きる気がします。ですので、私が思う最も良質な「配慮」とは、かなりの精神的なエネルギーを要するものだと思います。そのようなエネルギーの注ぎ方が出来るのかは、おそらくご自身の経験に基づくもので、その経験が誠実で静かな熱い思いを丸山さんの中に滾らせているものかもしれません。

すぐに浮つき、あせり、答えを求めたがる自分の態度も丸山さんとの対話でよく見えてきましたし、このインタビューから自分が学ぶことが多いと改めて思った次第です。丸山さん、本当にありがとうございました。

刺激的ではなくとも、何か新しいものを補給したいかたがた。ぜひ、年明けにこのインタビューを読んで戴ければ幸いです。それではみなさま、良いお年をお迎えください。

とまこまい生きづラジオ 出演しました。





 昨年の秋ですが、友人の藤井昌樹さんが活動されている「とまこまいフリースクール検討委員会」の「生きづラジオ」の第四回目に出演しました。お時間があるかたはゆるゆるとご覧いただければ幸いです。

2016年12月6日火曜日

思春期の問題を研究している加藤弘通さんのインタビューを掲載しました。

本日、この9月30日に行った、思春期の問題研究をされている、北海道大学大学院教育学研究院の加藤弘通准教授のお話を掲載しました。
今回も結構なロングインタビューですが、思春期といえば、のちの成人に移行する際におそらくアイデンティティの基盤をなすであろう時期。ぜひ多くの人にお読みいただきたく思います。

お話は加藤先生の思春期から学生時代の話、ひきこもりについて、教師の役割についての詳細な話、そして即効的な答えを求められる風潮について、果ては老齢期についてなど、話は大変多岐にわたりました。(最後の点は私がかなり引っ張ってしまったきらいがあります)。

それら多岐にわたる話の中でも、特に「荒れたクラス」を研究されてきた加藤先生にとり、教室が荒れるか荒れないかの差異の大きなひとつは面白い授業であるのかどうかに尽きる、教師の授業に対する熱意が役割の本流で、それによって生徒たちが学校の教室が関心の持てる場所になれるという趣旨の部分に語りの比重があると思いましたので、今回はあえて「教師の仕事は「授業」という本道で」というタイトルにしました。

とはいえ、加藤先生はひきこもりの青少年たちの支援に関わってきた経緯もありますので、ひきこもり問題の着眼も大きく、そこもぜひ読み込んで戴ければと思います。

実は加藤先生はけっこう僕が好きだったサブカルチャーにも親和性が高くて、けっこうマンガ、サブカル系の批評家についてなどなどの話でその日はかなりその話題で盛り上がったのです。流石にそこら辺はインタビューから省きましたが、私もインタビューアーとして、つい調子に乗ってその点は話し込んでしまったきらいがありますね。

そのように柔軟で、若者文化にも随分入れ込んできたかたですので、「話がわかる人だなぁ」という印象が非常にありました。
 最近は80年代の終わりから90年代のサブカルチャーの中心の人たちがすでに論壇の中心にいたり、そういう人たちの影響を受けた人たちが裾野広く社会で活躍していることを考えると、僕ももう少し青年時代に関心を持ったものに後ろ暗く思わずに、もっと「好き」を大事に考えておけばよかったなぁ、と今更ながら思います。70年代の「ロンドン・パンク」から始まり、80年代のサブカルはひと通り関心をもって通過したような気がするのですが、いつも自分にとってそれは「後ろ暗く」て、「社会からは糾弾されやすいもの」と勝手に思い込んでいた節があります。

いま、そういうものの洗礼を受けた人に出会える機会が訪れると、自分が思春期青年期に好きになったものを別に後ろ暗く思う必要は無かった、むしろそれらを追求することが何かを生み出す形になるかもしれなかったとも思います。(性格上のこともありますので、なんともいえませんが)。

ひきこもりや不登校、あるいは「学校がつまらないこと」が極まる、その他。若者時代にはいろいろ悩みがある時期ですが、そんな時代も「自分の好き」を否定せずに継続し、むしろ徹底的に追求すれば何か道が広がる、開ける可能性もあるかもしれません。(そのツールでどう自分を生かすかが考えどころでしょうけれど)。
おそらく加藤先生もそのようなことを暗に伝えたかったんじゃなかろうか、と思うのです。

あまりにも「あたり前」な結論の言葉かもしれませんが、やはりそういうものはあるような気がします。