2017年4月15日土曜日

久しぶりです。

お久しぶりです。
このインタビューサイトのブログ更新はお正月のあいさつ以来になってしまいました。
つまりはその後は久しく活動も休止かい?かと言えば、そういうわけではないのでして。けっこう忙しいのでした。
この1月、2月に不登校新聞社の石井編集長など既に4人のインタビューを終え、昨年11月末に行った貧困問題研究の研究者の先生の原稿もまだ掲載前、というのがいまの段階です。

そしてこの4月17日、18日に上京して、アナーキズム研究を行っている政治学者で今ノリにノッている栗原康さんに東京で、大阪では僕が思うにある意味独自の発達研究を行ってこられた浜田寿美男さんにお会いして、お二人にインタビューをお願いしています。

浜田さんは今年ぜひ何とかお会いしたいと思った夢の存在でして、叶えられる時期がこの春の段階であったというのは本当に有難く、幸運なことです。
また、アナーキズム研究の栗原さんは、いま、その弾けるような文体とイケメンぶりで人気急上昇中。私もすっかりこのかたの文章にほれ込んでしまい、本の書き手としては今年の出会いとして最大のもののひとつ(昨年は浜田さん)。
同時にお二人にお会いでき、お話をうかがえるのは運がよすぎて。基本的には、この二週間以上はお二人の本を読み解くことに首っ引きだったわけです。で、合間合間にツイッター、フェイスブック、YOUTUBEで遊んでしまうのだと。そんな感じで、既に終わっているインタビューの作成が遅れてしまっている状況です。申し訳ありません。

あとは、肉体的機能が衰えて老人病院と老人保健施設住まいを余儀なくされている父のコーディネートやお見舞い、認知機能が衰えてしまった母親の簡易な見守りなど、まあまあ。何かとせざるを得ないことがある日々です。

本格的にGW明けにはみなさまがたに少しずついい内容の原稿をお届けできるといまから自負してしちゃいます。

・栗原康さんーいまノリにノッている大正アナーキズム研究者。主な研究対象は大杉栄。パートナーの伊藤野枝さんの評伝が一部で相当な話題。また、エッセイ『はたらかないで、たらふく食べたい』はタイトルどおりのそのまま痛快率直本音のエッセイです。
第10回「わたくし、つまりNobody賞」受賞者でもあります。


大杉栄伝 永遠のアナキズム (夜光社) 

 
村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝 (岩波書店) 
 
 

死してなお踊れ 一遍上人伝 (河出書房新社) 


はたらかないで、たらふく食べたいー生の負債からの解放宣言 (タバブックス)


 
 
現代暴力論ーあばれる力を取り戻す (角川新書)
 
 
・浜田寿美男さんー発達心理学の先生ですが、乳幼児が生まれたときは無能力で、それから周りの環境より自力で自己の機能と周りの道具を利用しながら大人へ成長するという一般的な通念から離れた考え方を持っていらっしゃるかたと思います。人間は周りの環境を受動的に受け止めながら、<能動ー受動>のやりとりのなかで、「人間」としての共同性を育む・・・。だいたいそんな感じでしょうか。一般の発達議論にはなかなかない発想なので新鮮であると同時に難しいな、とも思う。それだけ僕(ら)の「発達観」のとらえが多様でないのでしょう。なぜなら、本の書きかたそのものは非常に読みやすいものだからです。浜田先生は発達研究以外にも精神鑑定の権威としても著名。ゆえに著書も大変多いのですが、以下の本を今回参考にしています。
 
 
 
「私」とは何かーことばと身体の出会い (講談社選書メチエ)
 
 

子ども学序説ー変わる子ども 変わらない子ども (岩波書店)



「私」というもののなりたち (ミネルヴァ書房)


 
子どもが巣立つということーこの時代の難しさの中で (ジャパンマシニスト社)
 
 
今回の取材も「人と社会を考える」このインタビューサイトの趣旨とピタリとはまる人選として巡りあえることと思います。「生」の伸びやかさについて痛快に言葉をつむぐ栗原さん,わたし(人間)を考えるうえでとてもスリリングな読書体験をさせてくれる浜田さん。
良き出会いになれるよう、準備しながら祈っています。












2017年1月2日月曜日

2017年 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
本年も本インタビューサイトをよろしくお願い致します。

昨年は大晦日まで原稿を掲載することができてよかったです。
活動報告として昨年は、横浜で「新ひきこもりについて考える会」に出入りされている元ひきこもり当事者でいまはその経験をベースにして精力的に活動してる4人の活動家のかた、そして北海道大学大学院の3人の先生、(まだ校正前ですが)不登校の親の会の世話人の会のかた、全部で計8人のかたのお話を伺うことができました。3年目で15年、16年の各4名に比べて、倍の人たちから貴重なお話を伺えたのはとても幸いなことでしたし、自分にとってこの活動が貴重な軸となりつつあります。

本年はその勢いに乗り、可能なら10人くらいの人のインタビューを試めれば。それが目標というか夢です。
ただ、加齢に伴い、父親が老人病院に入院し、母親の認知力低下などもあり、親の不測の事態も充分考えられ、それが実際となった場合、しばらく活動の休止もあるかもしれません。

インタビューの内容に関しては「長すぎる」という評価はあるかと思います。お話を伺う人の数が増えるにつれ、掲載内容の方法、読者側の視点、考えなければならないところが増えてきていますが、同時に私のインタビューサイトの特徴として、細部の語りに(例えば)支援について、あるいは読み手がまだ聞いたことが無い意外なヒントも汲み取れるところがあるかと思っています。インタビューをお願いする立場として、お願いした語り手のかたの文脈を最大限大事にしたいということもあります。

いずれにしても、原稿の中にある「(神は)細部に宿る」という思いがある当方送り手側と、同時に、こちらも真剣に考えなければならない「受け手」の気持ち。これは両方を考えながら今しばらく葛藤は続くと思います。素人作業なのでまだ洗練に遠いラフな原稿が多いかと思いますが、「良かったと思うところ、失敗したなと思うところ」は実際から学んで緩やかに変化していきたいです。この辺は今後も勉強です。

今後もインタビューの継続に際し当サイトを(少数でしょうが)応援してくれる人は、豊かな人脈をお持ちのかたも多いと思います。邂逅する機会があればぜひ「こんな人がいるよ」とご紹介戴ければ幸いです。ご紹介戴いたかたについて勉強し、考え、新たな出会いに挑戦していければと思います。

また、インタビューサイトのツイッター専用アカウントを作りました。@euphoni58438661
インタビューに関する情報や所感の一部をつぶやいていくかもしれません。また、bot形式で随時流していくのもあるかな?使用の方法がまだ幾つも見えないところがありますから、こちらもゆっくり歩かせながら考えて行きます。よろしければフォローしてみてください。

それでは、本年もよろしくお願いします。

2016年12月31日土曜日

ヒューマン・スタジオ所長、丸山康彦さんのお話をお届けします。

本年もはや、大晦日を迎えました。
皆さま、どのような一年でしたでしょうか。

本日、今年最後のインタビューとして神奈川県の元当事者活動家の四人目、しんがりとして「ヒューマン・スタジオ」の丸山康彦さんの密度の濃いお話をお届けします。
新年の宵を、遅い時間まで楽しまれるかたも多いと思いますが、別の選択肢としてひとつ、デリケートで深い話をじっくり味わうのも一興ではないかなと。そのように考えるかたがたに、ぜひこの丸山さんの実践活動のお話を吟味していただければと。

この4月に東京で行われた「ひきこもりUXフェス」の翌日に伺った二度目のインタビューですが、冒頭に記したように、二度目のインタビューは丸山さんの支援に関する実践哲学と実際に活動を行っていくうえでの気づきの話にフォーカスをあてたものとなり、このたび久しぶりに読み返して、内容の貴重さぶりにうなりました。このようなお話を無料で伺えることは冥利につきます。

丸山さんの支援の姿勢は、ご本、「不登校・ひきこもりが終わるとき」を読んでも分かりますが、実に深い洞察に基づき、堅実な姿勢で貫かれた、着実で地に足がついたものです。私には「支援」というよりも、「配慮」という言葉こそが丸山さんの実践には適切な気がします。
そして、「配慮」の本質こそ、このインタビューでの語りにおける丸山さんのバランス感覚であり、上つかない姿勢と気づきにそれは尽きる気がします。ですので、私が思う最も良質な「配慮」とは、かなりの精神的なエネルギーを要するものだと思います。そのようなエネルギーの注ぎ方が出来るのかは、おそらくご自身の経験に基づくもので、その経験が誠実で静かな熱い思いを丸山さんの中に滾らせているものかもしれません。

すぐに浮つき、あせり、答えを求めたがる自分の態度も丸山さんとの対話でよく見えてきましたし、このインタビューから自分が学ぶことが多いと改めて思った次第です。丸山さん、本当にありがとうございました。

刺激的ではなくとも、何か新しいものを補給したいかたがた。ぜひ、年明けにこのインタビューを読んで戴ければ幸いです。それではみなさま、良いお年をお迎えください。

とまこまい生きづラジオ 出演しました。





 昨年の秋ですが、友人の藤井昌樹さんが活動されている「とまこまいフリースクール検討委員会」の「生きづラジオ」の第四回目に出演しました。お時間があるかたはゆるゆるとご覧いただければ幸いです。

2016年12月6日火曜日

思春期の問題を研究している加藤弘通さんのインタビューを掲載しました。

本日、この9月30日に行った、思春期の問題研究をされている、北海道大学大学院教育学研究院の加藤弘通准教授のお話を掲載しました。
今回も結構なロングインタビューですが、思春期といえば、のちの成人に移行する際におそらくアイデンティティの基盤をなすであろう時期。ぜひ多くの人にお読みいただきたく思います。

お話は加藤先生の思春期から学生時代の話、ひきこもりについて、教師の役割についての詳細な話、そして即効的な答えを求められる風潮について、果ては老齢期についてなど、話は大変多岐にわたりました。(最後の点は私がかなり引っ張ってしまったきらいがあります)。

それら多岐にわたる話の中でも、特に「荒れたクラス」を研究されてきた加藤先生にとり、教室が荒れるか荒れないかの差異の大きなひとつは面白い授業であるのかどうかに尽きる、教師の授業に対する熱意が役割の本流で、それによって生徒たちが学校の教室が関心の持てる場所になれるという趣旨の部分に語りの比重があると思いましたので、今回はあえて「教師の仕事は「授業」という本道で」というタイトルにしました。

とはいえ、加藤先生はひきこもりの青少年たちの支援に関わってきた経緯もありますので、ひきこもり問題の着眼も大きく、そこもぜひ読み込んで戴ければと思います。

実は加藤先生はけっこう僕が好きだったサブカルチャーにも親和性が高くて、けっこうマンガ、サブカル系の批評家についてなどなどの話でその日はかなりその話題で盛り上がったのです。流石にそこら辺はインタビューから省きましたが、私もインタビューアーとして、つい調子に乗ってその点は話し込んでしまったきらいがありますね。

そのように柔軟で、若者文化にも随分入れ込んできたかたですので、「話がわかる人だなぁ」という印象が非常にありました。
 最近は80年代の終わりから90年代のサブカルチャーの中心の人たちがすでに論壇の中心にいたり、そういう人たちの影響を受けた人たちが裾野広く社会で活躍していることを考えると、僕ももう少し青年時代に関心を持ったものに後ろ暗く思わずに、もっと「好き」を大事に考えておけばよかったなぁ、と今更ながら思います。70年代の「ロンドン・パンク」から始まり、80年代のサブカルはひと通り関心をもって通過したような気がするのですが、いつも自分にとってそれは「後ろ暗く」て、「社会からは糾弾されやすいもの」と勝手に思い込んでいた節があります。

いま、そういうものの洗礼を受けた人に出会える機会が訪れると、自分が思春期青年期に好きになったものを別に後ろ暗く思う必要は無かった、むしろそれらを追求することが何かを生み出す形になるかもしれなかったとも思います。(性格上のこともありますので、なんともいえませんが)。

ひきこもりや不登校、あるいは「学校がつまらないこと」が極まる、その他。若者時代にはいろいろ悩みがある時期ですが、そんな時代も「自分の好き」を否定せずに継続し、むしろ徹底的に追求すれば何か道が広がる、開ける可能性もあるかもしれません。(そのツールでどう自分を生かすかが考えどころでしょうけれど)。
おそらく加藤先生もそのようなことを暗に伝えたかったんじゃなかろうか、と思うのです。

あまりにも「あたり前」な結論の言葉かもしれませんが、やはりそういうものはあるような気がします。

2016年11月20日日曜日

乳幼児研究をされている川田学さんのインタビュー、掲載しました。

お待たせしました。インタビューの更新です。
隔月というペースですが、この8月8日に北大の「子ども発達臨床研究センター」でインタビューさせて戴いた川田学北海道大学大学院教育学研究院准教授のお話を本日、掲載させていただきました。
「子ども発達臨床研究センター」は、教育学研究院の裏手、木々が健やかに生い茂る自然の多い場所に静かにたたずむ瀟洒な建物です。(ちょっと外観は古いかな。それだけに懐かしく馴染みやすい)。

川田先生は乳幼児の研究と幼稚園などでの実践の研究をされているかたで、論文はネットでけっこう読むことが出来ますが、もともとは私にもコラム依頼があった「さっぽろ子ども若者白書」という、乳幼児から青年期まで、研究者から現場のNPOの活動家の実践報告まで載せたほかにあまり見当たらない貴重な青少年報告書で初めて認識したのです。

この白書は子どもや若者支援のNPOなど、市民活動をされている方々のほぼが原稿を書かれていたとはいえ、私は最初は「白書」という言葉のイメージに囚われて、それほど心動かされることなくまず序章の姉崎洋一先生の概観を読み、そして第一章の川田先生による論文、「乳幼児期の発達と子育て・保育の現状」に目を通し始めたのです。そのとき思わず、「何だこれは!これは今までの乳幼児に関する話題を論じた文章とは内容も観点もきっと見たことのない、初めてのものだぞ」とすっかり魅きこまれてしまったのでした。そしてこのかたにお会いして、ぜひともお話を伺いたい、と思ったわけです。

ちなみに、ぼくは子どももいませんし、当然子育ての経験もないわけで、最初は何の期待もしないで読み始めた内容だったのですが、「乳児のときから何か人間のその後における根源がすでにありそうだ」と思ってしまったのでした。今でもその考え、間違いなのかもしれないのですけれど、そう思っている次第です。

そして実際にお会いした川田先生は思った以上に若くて、事前にさまざま読める論文の成熟した印象とはまた少し違う、瑞々しい感じと、柔らかな雰囲気に満ちていました。そしてこちらの話の拙い連想にもどこまでもついて来てくださいそうな柔軟さをお持ちのように感じました。
何よりも嬉しかったのは、素人のこちら側の問いかけにも、けして語る内容を引き下げることはなく、相当な内容を惜しみなく語ってくれたと思われることでしたし、その後レコーダーを起したときにもため息が出るほど濃密な語りをしてくれたなあと改めて思ったものです。(素人だから必要以上に感動したのかもしれません)。

内容は川田先生が自分の研究の参照枠にしているワロンという発達心理学者の話を中心にしながらも、かなり幅の広い話題の展開になりました。
特に川田先生のひとつのターニングポイントになったであろう、学生時代の異性全身介護の重度障がいの女性のかたとの出会い、そして障がいのあるかたたちとの「自立」を巡る議論が大きかったのだろうと思います。
そのあたり、インタビューもたぶんに濃密な内容な分だけ、抽象的な話になっているかもしれませんが、川田先生の話が抽象的に終らないのは、そのような具体的な経験に裏打ちされているからであろうと思います。

たくさんの良い話を聴いてきて、でもその中でも広い意味でも参照枠の多いインタビューが出来たのは光栄な限りです。
「個人は自分の中に他者をはらむもの」。そういう考えがワロンなどから生じた意味などもぜひかつての歴史的経緯なども含めて考えて戴ければ幸いです。
長い内容ですが、関心のある読者様。ぜひ少しずつでも読み進めて戴ければ光栄の至りです。

最後に、今回の参考にした文献をあげておきます。
川田学先生の論文(インターネットで拾えたものより)
・年齢、獲得、定型
・他者の食べるレモンはいかに酸っぱいか
・発達の研究と社会的合意の間で
・異年齢期カップリングの発達学

・ワロン/身体・自我・社会 (浜田寿美男訳・ミネルヴァ書房)
・子ども学序説 浜田寿美男(岩波書店)
・「私」とは何か 浜田寿美男(講談社選書メチエ)

2016年9月22日木曜日

STEP世話人、近藤さんインタビューUP!

 
横浜の老舗ひきこもり自助会「STEP」の世話人で、まだ30代前半の近藤健さんのロングインタビューをお届けします。
飄々としたユーモラスな語り口、温和で柔らかな人柄ながら、ひきこもりの自助会と接点を持つに至るまでに一度大きな精神的なアップダウンを経験、近藤さん自身はひきこもり当事者とは言えないと思いますけれど、ひきこもりの人に対してとても親和性をお持ちのかたです。また、インタビューの後半には社会に関する新しい考えも披露してくれています。

ぼくは話を聞いているあいだ、本当に純粋で天使のような心をもっている人だなという思いを持つと同時に、軽やかな新しい感性に頭の中がクリーンになるような、硬直したこちらの「あたり前」がサラッと「大丈夫?」と問い直しをしてくれる感じがありました。(勝山実さんの『安心ひきこもりライフ』を読んだかたならば、近藤さんの何気ないことばの中にハッとするような新しい着眼点を見つけることができるでしょう。所謂ひきこもり支援者の人にぜひ読んでもらいたい内容です)。

おそらくまだ「これ」という枠組み、というものでは固まっていないかもしれないとしても、実に深い思索の力を持つ人だと思いました。「新ひきこもりについて考える会・読書会」でもどんどん鋭い角度から言葉を発しておられている印象があります。今後が楽しみな人なのでぜひ先物買いだと思って、雑談的な要素がありつつも、このロングインタビュー、読んでくださったら嬉しいです。
こちらも4月のUXフェスの次の日のインタビュー。こちらの諸般の事情で近藤さんに校正をお願いするのが8月下旬になってしまい、掲載が遅れてしまいました。お詫びいたします。

近藤さんが世話人をつとめる自助会「STEP」さんのホームページはこちらです。

2016年7月28日木曜日

10代と50代 不登校体験を語る


 上記のタイトルで朝日新聞の教育欄に記事が載りました。
 対談をさせていただいた本橋璃央さんはNHKのハートネットテレビのドキュメンタリー的な番組にも出ていて、想像通りの人だなと思いました。
 初めてお会いしてみて、意志的な目がとても印象的でした。外側に向かって悩みながらもぶつかっていく姿勢を感じて、個人的には強い子じゃないかな、僕が16のときとはぜんぜん違うな、といろいろな意味でうれしかったのです。(ご本人はつらいことも多いとは思いますが)
 
 意志があること、角がたつことは僕は10代にとってもとても恐れていたこと。彼女もそうだとは言ってましたが、乗り越えていこうという姿勢は僕は番組を見ていてすごくかんじたし、すがすがしいなぁと思いました。

 通りすがりの人間は黙って話を聞いてそこで終ればいいのですが、中年ダメオヤジの嫌らしさで新聞記事をこうして宣伝しています。

 本を売りたいのですよ。買ってくれ~~ってね。
 いやらしい。若者よ、絶対反面教師にして欲しい。

2016年7月23日土曜日

林恭子さんのインタビューを掲載しました。

横浜と都心で活躍されている元ひきこもり当事者、林恭子さんのインタビュー、大変遅れてしまいましたが、掲載させていただきました。
元々、東京で行われた「ひきこもりUXフェス」後に注目していた横浜の活動家三人の方へのインタビューのラストのおひとりでしたので、UXフェスの二日後、4月18日に行ったものです。随分掲載が遅くなってしまいました。

五月の中旬頃から両親ともに心身の体調が悪くなり、個人的に家族内調整に時間をとられるようになってしまいました。現在もそれは続いてはいるのですが、時期的に6月くらいが一番大変だったので、林さんご自身に校正原稿をお渡しするのがずいぶん遅くなったのは、手前の不手際ゆえです。

インタビューは林さんのいままでのライフヒストリーを網羅した内容で、ひきこもりに関心のあるかたには是非読んでいただきたい、たいへん貴重な内容です。実際、勝山実さんも含めて加えた四人の方の体験的インタビューは格別な説得力があり、今後も掲載していきますけれども、注目しておいていただきたいと思います。

林さんに関してはタイトルを「管理された身体からの解放」としましたが、適切かどうかはわかりません。私の、話を聞いた全体の中での直観にもとづいてそのようにつけました。林さんの語りはどの局面をとっても貴重な内容なので、タイトルというものをつけるのは難しかったのです。ただ、やはり「管理される身体」の問題は、いま現在の若い人たちにも通ずる大きな要素だと私は思うのです。

林さんは管理されることに疑問を持ちながらも、「人を傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だ」という優しさを抱いて、そこで命を懸けて苦しまれてきた方です。
「優しさと根底的な疑問」が不問にされる不条理の狭間の中で生きてこられた。その場で話を聞き、聞きなおし、原稿を何度も読みながら、考えたことの大きなひとつはそのことでした。

ひきこもりのひと一般、とはもちろん言いませんが、必要以上のものを背負ってしまった苦労を抱いてそこに生きる時間の多くを割いたというひきこもりの人は多いのではないかという気がします。

でも、私はそこで希望を損なわれた、時間を無駄にした、何かの犠牲者だと思うのは早計だと思います。(もちろん、そう思うときは当事者自身としてもあることですが、そこに絡めとられる必要もないということです)。

林さん自身が意識されていたかは分かりませんが、一生懸命に自分と向き合って、まっすぐに悩みきったぶん、ちゃんと出会うべき人に出会ってきた、良い人と出会ってきたんだろうなという気が非常にします。その結果として、ひきこもり史の真ん中のみならず、「不登校」界隈でもポイントとなる人と会ってきている。そういう行動を取ってこられたし、そういう人たちのレスポンスもちゃんと受けてきたんだろうなあと思いました。それは才能ではないかと思いました。

実は、実際に出会った林さんはひきこもりの「ひ」の字も似合わないような、キャリアウーマンと見まがうかのような人でした。根本的な素養が備わっていた分、凡庸な自分は素朴に、「惜しい時間を過ごされたんだろうな」と生意気にも感じてしまいましたが、恩師の泉谷閑示さんが仰っていたように普通の人が行かない道の先頭を歩く人なのでしょう。

活動の場所もずれてはいない。いまはUXフェスのあと、UX会議として「女子会」が始まっていますが、そういうトレンドもある必然性を持つ林さんには適宜適切な意味と動きの中にあるといえると思います。

2016年6月30日木曜日

地元ジャーナル紙のインタビュー記事を掲載しました。

地元老舗ジャーナル誌、『北方ジャーナル』昨年12月号に掲載された個人インタビューを、取材してくれたひきこもり、不登校関係の専門ジャーナリスト、武智敦子記者の了解を得てこのホームページに再掲させていただきました。→こちら

話は3時間以上した記憶があるので、かなり広範でけっこうディープな内容になっています。
自分でも何を話したか覚えていない部分も多くて、不登校、フリースクールなどの話はかなり印象論で語ってしまっており、その点は大変申し訳なく思っています。その領域を知っているわけではないのに......。

そのように軽はずみな発言もありますが、インタビューの最初と最後は結構、思いはその通りのものです。
また、いま時期の課題がラストにやや予言的に述べられているところもあって、興味深いです。

いまの自分は父親の身体介護、母親の認知力の問題と、親介護の問題が一挙に両方持ち上がってきていて、医療介護領域の方々とコーディネートしたり、身体問題がない母親の見守りとなかなか自由にならない身になりましたが、いずれも通らねばならないことであり、ひきこもりかそうでないかは関係なく、親介護の問題というのは中年世代が突き当たる新しい認識へ向かう重い扉です。

変わらなければならないことと、変わってはならないこと。いまはまだその整理はうまくつきませんが、それを自分の中できちんと仕分けしていく必要を感じています。

今度の選挙もそうです。国や人びとが大きな目標を掲げてそれを夢見て手足を外へ外へ広げていく開拓者モードで行くのか、それとも「生活」という「日常」にかかずらわる精神のウエイトの方向へ行くのか。そういう選択でもあると思っています。

個人的にはこの成熟した社会では「POWER」志向ではなく。「COURAGE(精神力)」の時代に入っていると思っていますが。

2016年5月29日日曜日

新ひきこもりについて考える会・5月読書会参加。

 昨日は横浜で行われている『新ひきこもりについて考える会』5月読書会にこちらのインタビューサイトである「ユーフォニアム」を取り上げてくれるということで、会の世話人のかたがたにワガママをお願いして今回はスカイプで参加させていただきました。
 前回のブログ案内の通り、4人のインタビューの内容をとりあげ語り合いました。
 スカイプの音声はとても良好で、みなさんのほうにちゃんと声が届いたようだし、こちらもみなさん(参加者10名)の全員の声はよく聞き取れました。

 まず、改めて確認しておきたいのは、1月の読書会で横浜に参加した際の『ひきこもる心のケア』の話し合いに出て、少なくともひきこもりに関する集まりについては自分としては「この場はすごい」「こういう場所を自分は求めていた」ところで。その上で、いま自分が具体的に行っている活動はこのインタビューサイトなわけで、そこに着目してくれたのも「考える会」が初めてだったし、それを読書会に取り上げるという、おそらく読書にHPを使うのも滅多にないことだと思うので、本当、光栄でした。そして何より、初めて公に自分のいまやっている活動が認められたなと率直な喜びがあったのです。

 内容に関しては特に釧路で困窮者自立支援制度の活動を行っている昨年3月末にアップした櫛部武敏さんが大変好評で、それからひきこもり名人、勝山実さんのインタビューが好評でした。
 実は予習的に今回取り上げてくれた4人のインタビューは読み返したのですが、やはり櫛部さんのインタビューはいま読み返しても「すげえな」と我ながら改めて思った次第。櫛部さんの語る内容の深さ。行動とその振り返りと、教養とそれら全体が自らの中に統合された大人の知恵。そして生きざまのありようのかたち。かといって立派なだけじゃなくて、「恥じらい」や「照れ」や「反省」も大事にされるかたなので、人間的な魅力はどうしても「ありあり」です。困窮者支援の概略も含めて櫛部さんのインタビューの感想はこちらの過去ログをご覧下さい。

 勝山さんのインタビューは前編後編に分けての長文で文字通り「長いですね」という感想があり、「でも時間が有ったので全部読みました。面白い」とありがたいやら、苦笑いするやらで。結構インタビューの枠組みを離れて雑談モードの中身でも面白く読んでくれたんだなあと感謝するばかりです。これはもう、勝山名人の語りの才能にこちらがおぶさったとしか言えず。本当にこれもありがたいこと。

 今回はスカイプで音声参加したので、自然な自分の会話が反映できました。個人的な振り返りのためにレコーダーで夕食以後ずっと聞き返したのですが、自分の話しかたに関して言えば、語られている話題に対する自分の考えやそれに付随する想像と、みなさんの話の全体とを両方かぶせて話をしようとする傾向があるんだなあと思いました。そうするとまとめようとする意思はないつもりだけど、何となくまとめ的な話しに持っていく方向がある気がします。それできれいにまとまればいいんだけど、途中で「あれ?この点の感想忘れてる?」とか、「元々話そうと思っていたことがずれてきてるぞ」とか考え始めて、何となく「もぞもぞ」「ぐにゃぐにゃ」な感じになることも多々ある。

 要は、思ったことは思ったときに口にすればいいんですが、元々そういう風に話すことに慣れてないせいなのか、性格なのか、環境的にそういう振る舞いを選択するようになったのか。それはわかりません。でも、もっともっと、思ったことは思ったときに口にする癖を少し増やしたいな。苦手な部分なので。

 あと、ときおり滑舌が悪くなるときがある。これは明らかに聞き手が聴き取りに困るので直したい。ま、簡単にはいきませんけど。こういうことは自分の年になると人から指摘されなくなるので、自分で気づいていかないと。

 SSTとかは外部から訓練的にされるのは嫌ですが、この読書会の場は素敵な、話したいことも聞いてもらえる場所なので、その現実をもっとじぶんとみなにうまく循環できればいいと思うので、多少こころがけたいと思いました。7月の読書会もスカイプ参加どうぞ、と言ってくれたので、ありがたくまた参加したいと思います。嬉しいな。

 さて基本的には自分はやはり話すより「聴く」のが好きだし(あえていえばだけど)、得意はそっちかな、と。「パッシブを生かしながらそれをアクティヴに変えていく」作業に今後も軸足を置いていきたいと思います。そうするとそれはやっぱりインタビューになるだろうと思います。
 インタビューに関して言えば、提供に関して「編集をあまりしない(出来ないというのが正確?)ライブ感覚のインタビューでいいのか?」ということに関しては、当面この方向でいい、という風にして行こうと思っています。
 聞き手が素人だなあというのがありますけど、聞く対象のチョイスは悪くないと思う。この自分の直観でまだまだ当地でも話を聞きたい人は頭の中にはたくさん浮かぶので、「人文社会」の枠で何でもアリは続けて行きたいものです。アンテナも張っていかないとね。

 今後は横浜のひきこもりに関する活動家の人たち三人を順次、ペースは少しゆったり目かもしれませんけど、いい話が満載ですので、どうかひとつ、このインタビューサイト・ユーフォニアム、よろしくお願いします。

2016年5月15日日曜日

このところの活動履歴です。

ブログ記載は久しぶりです。
マイペースながら活動の幅を少しずつ広げています。
それらの内容について少し振り返って行きたいと思います。以下、長文になりますけれども。

まずは今後の予定から。
1月にお邪魔し、「ひきこもる心のケア」を取り上げてくださった横浜で行われている『新ひきこもりについて考える会』の読書会。(新ひきこもりについて考える会については『不登校新聞社』のこの記事に簡潔に紹介されています)
今月5月28日(土曜日)に本インタビューサイトの過去インタビューを素材に横浜で読書会を開いてくれます。取り上げてくださる人たちは櫛部武敏さん平野直己さん野村俊幸さん勝山実さん。

遠方(札幌)住まいの私は今回は我がままをお願いして、スカイプで参加させていただくことにさせてもらいました。1月にお邪魔させていただいた際の読書会のインパクトが強烈で、今回二度目の自分の活動に関してなので、いてもたってもいられなかったのです。

何より、このインタビューサイトの記事を読書会に取り上げられることがこころから嬉しいことでした。手前味噌過ぎて気恥ずかしいのですが、インタビューイーの人たちがみな素晴らしい話をしてくれて記事の内容には自信がありました。ただ、おそらく編集にあまり手を加えない「ライブ感覚」を最重要視しているため、読むのに時間がかかる。あるいは記事の流通の方法論に弱みがあって残念ながらあまり知られていない部分がまだまだあるサイトだと思うのです。

その中で「ひきこもる心のケア」のみならず、本サイトにも着目してくれたのはシンプルに嬉しく、ひきこもりに関する本、その近縁の本を100冊以上読み、100回以上読書会を開いている横浜のガチでハードコア(?)な話し合いをしている場所にこのサイト記事を加えてくれたのは本当に光栄だし、このインタビューサイトが何かようやく報われたな、と正直思いました。けして報われることを求めているわけではないですが、「届いているよ」という応答が老舗の「考える会」の読書会であるというのが喜びです。その応答がUXフェス参加前であった、ということもまた嬉しさに輪をかけることでした。

その『ひきこもりUXフェス』というイベントに私も到着が午後でしたが、参加してきました。主催と運営はもともと不登校・ひきこもりなどの経験者です。あるいは発達障がいの傾向などがある人です。私はもともと、このフェスに参加することと同時に、1月の「考える会」参加と同時に行った勝山実さんと、ひきこもり相談所「ヒューマン・スタジオ」を運営する丸山康彦さんのインタビューが目的でもあり、今回の訪問は丸山さんと、UXフェス運営者でもある林恭子さん、フェスでも行われたひきこもり自助会STEP世話人の近藤健さんのインタビューも目的だったので、両方の目的も無事(というか、最高度な形で)終らせることができました。UXフェスの全体運営のひとり林さん、フェスで自助会を回していた近藤さん、そしてブースを出していた丸山さん。このお三人のひと頃本当に大変な時期があったことを事後に知った自分としては、精神的に本当に大変な青年期を過ごすことがあっても、立派に社会活動をされる立場になれるんだ、という勇気を改めてもらえたなと記憶が呼び返されます。丁度いま、フェス雑感を依頼された自分の記事が載っています。
なんとも稚拙な内容ですが、宜しければ読んでみてください。ひきこもりUX会議のホームページブログに三回に分けて掲載されています。(前編・「働く」、中編「生き辛さをどうする」、後編「まとめ編」)

また、神奈川のひきこもり支援サイト『ひき☆スタ』にUXフェスに主催・運営者のお一人、不登校新聞社編集長・石井志昂さんへの今回のフェスに関するインタビューが掲載されています。これが痺れるほど「そうだろうなぁ」と本質的な話になっていて実に素晴らしいのです。ぜひ読んでいただきたい。
ひき☆スタ【取材レポート】「ひきこもりUXフェス」に行ってみた。

不登校新聞には同社の取材の一環で自分も帰省日に同社を訪れることができました。私自身、不登校新聞は発刊時、一年間だけ新聞を取っていたこともあり、訪れたい場所であったのです。NHKのテレビ取材が入っていて、対談などの時間もずっとカメラとマイクを向けられるというのは生涯初めての体験で、不思議なボーナスでしたね。

石井さんがおそらく言わんとしている、ひきこもりの課題はすごく成熟してきていて、もう「支援」でもなく、「プレゼンテーション」(or「啓蒙活動」?)でもなく・・・・・・という感じではないのか、という考え方にすごく共感できます。私も自分が行っているインタビュー活動をひきこもり問題に限らず、その近接領域、あるいはもっと離れた立ち位置の仕事をしている人にまで広げているのは、ひきこもりから離れたいからそうしているわけではなくて、ひきこもりの世界へ還元したいからなのです。これは真面目にそう思っています。
ひきこもりを通して、「どのように考えてもいいんだ、どこからも学ぶ糸口はあるんだ」と気づいたからこそです。それはひきこもりというイシューがあったからなのです。ひきこもりを通して「面白い学びや気づきがあった」のは間違いないのです。

ただ、「支援でもプレゼンでもない」と言えるのは、「支援」も「啓蒙」も必要だから言えるわけです。要は、元気になり、自分のことばを持てるようになった人たちの発信の方法に光を当てる必要がおそらく、いまでは出てきているわけですね。ある種の機が熟するときが経ったのかもしれません(もっとも私はひきこもり問題が世間を賑わした2000年代は知らないのです。自分が界隈に参加するようになったのは2009年からなので)。

その機の熟し方に支援や研究が追いつけていない。だから当事者が発信するしかなくなる。いや、それは消極的な表現ですね。当事者が積極発信をはじめたということでしょうか。支援の形がある種の枠組みを越えた人たち(年齢や、社会的環境や、ひきこもる契機になった事情が研究の想定外だった人たち)に対応できなくなりつつある面が生まれ、それで経験とパワーがある人たちが自らイベントを立ち上げた。今回のイベントも400人集めたわけですから、これはある種の前提の転換ですよね(おおげさかな?)。

話を戻しますが、イベントが終った後、近藤さん、丸山さん、林さんの貴重なお話を沁みるように聞くことができました。今後サイトに挙げていきます。お楽しみに。
また、既に不登校の親の会のかたに関東行き前にお話を伺っています。インタビューのつもりが、さまざまに話が盛り上がり、時間は5時間を超え。帰りが深夜1時過ぎになってしまったという。
こちらも少し遅れてしまいますが、サイトに掲載していきます。
ほかにも発達心理学の先生にぜひお話を伺いたいと思っています。
さまざまな事情がうまく回転すれば、本年度、特に上半期はサイトの充実は確かなものになるのは間違いないことだろうと思います。
 

2016年3月22日火曜日

勝山実さんのインタビューを掲載しました。

ひきこもり名人、勝山実さんのインタビューをホームページに掲載しました。
まあ、インタビューといいますか、前提はそうなんですが、「名人」は極めて聞き上手でもありまして。結局、勝山さんに甘えて自分ばかりが過剰にしゃべっていた気がします。
そもそも「インタビュー」という枠組みの抑制とかあんまり考えないで話をしていたもんで。。。お恥ずかしい。
前半の導入部と、後半の僕の体験部分に見事なツッコミが入っておりますが、もう大爆笑でしたね。
体験の部分は不登校新聞でずいぶん書いてくれたので、本の中でツボにはまっていたんだろうと想像はしていましたが、横浜に行って最初にインタビューを試みた際も「そこか!!」と。私自身盲点であった名人のツッコミでした。その際ももう、爆笑、爆笑で。

書評もそうなんですが、こういう愛あるツッコミは一般論にはできませんが、個人的には「実はそうなんじゃない?」ということなんですけども、こういうアクションこそが有難い。これぞ当事者愛なんだと思う。
けっこうこういう形でつっこんでくれることで「ブレイクスルー」するというと、おおげさだけど、カタルシスは間違いなくありますね。
でも、これって難しいのは、普通はよほど親密な関係にならないとできない表現なんですよ。言えるまでには時間がかかるし、言っても大丈夫、と自然に思える関係が作られてからでないと。
そこはやはり名人の技であり、私にそういうツボをつく技をかましてくれたことがとても有難いことでありました。

勝山さんの書くものや、今回のインタビューの後半の就労についての話や、社会に関する話もそうですが、極めて本質的な観点をストレートに語ってくれるだけに、言葉を聞いたり見たりして不安に思う人もあるかと思います。
でも、ぼくはそう思わない。その辺は考えを共有しているという前提はあるのだけど、それ以上に何というかなぁ。いわく言いがたい、勝山さんには一種の品位があるように思えてならない。それは受け答えの「ぶれなさ」とかに感じられて、ぶれなさに関しては勝山さんの受け答えを読んでも理解してもらえるかと思えます。あとは「やさしさ」。「ひきこもり性善説」は本当でしょう。当事者へのまなざしの暖かさは非常に感じます。これはおそらく神奈川の活動家の人たちの共通項なんじゃないだろうか。

カンニングへのツッコミは全くの想定外でしたが(笑)、勝山さんには一貫した勝山流倫理規範みたいなものが備わっているんだな、と改めて思いました。それも品位品格を感じたところ。
ある種の言行一致を目指している純粋なところがあって、何かね。自分の下衆ぶりを改めて思いましたね。勝山さんって、禅僧のような感じかな?(またことばがうわすべりしてますが)。

あと、今回一番感銘を受けたインタビューのやりとり。勝山さんは校正の中でかなり落としましたが、僕は大人の姿勢のありようを感じ、粛然とした部分でしたので、起して送ったものをここに再度掲載します。「一歩前に出て、声を張って、言い切るしかない」の部分です。


(私が『現実くん』と『大丈夫くん』の間で揺れて、喋りが右往左往する、という語りを受けて)

杉本:やはりそこらへんは勝山さんはね。一端、言い切っちゃうという。これは物がわかっている人も褒める部分だと思うんですけれども。

勝山:仕方ないんですよ。やはりねえ。聞いてる人は寝ちゃうしねえ。

杉本:(苦笑)。

勝山:(笑)全然聴かなくなっちゃうから(笑)。一歩前に出て、声を張って、言い切るしかないんですよ。もう「一本道」なんですよ。もうね。

杉本:そこなんだなあ。

勝山:もう、思っていることハッキリ言うと。選びようがないですからね。

杉本:そこなんだよね、うん。やはり「大人になる」というのはねえ。

勝山:いやもう、そこしかないんですよ。もう選択肢がないんですよ。あるように見えて。

ここに勝山さんの淡々とした覚悟があるように思えました。(おおげさにいえば)
この境地にはなかなか行き着かないけれども。。。目標値ではありますよね。