2017年7月19日水曜日

「ひきこもり」経験の社会学を書かれた関水徹平さんへのインタビュー


 今回は昨年の深秋に「ひきこもり」経験の社会学というとても大部で野心的な本を出された社会学者、関水徹平さんのインタビューをお送りします。内容はこちら→
 関水さんは東京と横浜でおおむね毎月開催している「新ひきこもりについて考える会」と、その読書会の世話人をされておられます。僕は考える会の読書会にSkypeで参加しているのですが、関水さんのiPhoneを利用させてもらっておりますので、読書会のギリの日によくメールでやりとりをしています。最近は私のほうで簡単に読書会の活用本の感想なども添えるようになり、勝手に親近感を持っています。

 関水さんは大変心配りのしてくださるかたで、意見が濃密で沈黙の時間がほとんどない読書会においても、基本的には寡黙にされているかたなのですが、とはいえ、議論のゆくえも、本の読みも当然深いかたですので、その意味ですごく謙虚さと誠実さに私は「いいなあ」と思うわけです。繊細さとバランス感覚がすばらしい。

 本の内容は当事者へのインタビューあり、いままでの専門家の言説のふりかえりあり、行政の動きを総覧する部分あり、基本的に一番好きな分野であろうひきこもりを通じて考える哲学的な考察もありの、大変意欲的でいわばひきこもり歴史の総括がされている本とも言えるわけで、「とうとうここまできたんだなぁ」という思いはあります。

 この2月にいままでインタビューをさせていただいた横浜中心の4人の元ひきこもり活動家のかたがたに再度集まっていただき座談会を開かせてもらったのですが、世話人のひとりとして「考える会」の中心のひとりが関水さん。ですから、インタビューに協力いただいた活動家のみなさんたちは、ひきこもり関連本や論文のためにフィルドワークとしていろいろなインタビューに応えていますし、研究者の方々などにインスピレーションを与えてこられた人たち。関水さんもメンバーさんにインタビューをしてこの書籍にもその分析を反映して紹介されています。

 ですからひきこもり当事者の自己発信に関して、「ここまで来たなあ」という中に、やはり横浜、あるいは東京などの大都市圏で自身の体験を深く語れる人たち、という留保はつけなければならない面はあるかもしれません。あえていうなら、その限界がやはりあるのもまた、事実かもしれません。それをどう考えるかはまだ課題としてあるのでしょう(私自身がそんな批評家みたいなことを言っていてはいけない気がしますが)。

 話を戻せば、関水さんはとても優しい聞き上手なかた。少年のような瞳で「また自分のこと、喋りすぎ!」の自分の話も「へえ~!」と熱心に聞いてくださいまして、カウンセリングマインドのある人だなぁと思いました。

 僕はインタビューの中で話し合ったとおり、若者の社会保障政策の薄さに着眼している部分に一番重要性を見出したのですが、今回のインタビュー、タイトルが難しかった。
 ひきこもり経験渦中のその人の存在のありようというか、「実存」。そして経験をこじらせてしまう日本の社会保障政策。いわば「構築されている社会」とのその両方に目をこらした大変な力作だと思い、アンキャッチーなタイトルにしました。
 レビューとしては以下の書評が大変見事なので、この書評もご覧になって、ぜひこの本にチャレンジしてくれる人が増えてほしいと思います。

静岡大学教授・荻野達史が読む 『「ひきこもり」経験の社会学』関水徹平著 聞き届けられない絶望…

2017年6月5日月曜日

不登校新聞編集長、石井志昴さんインタビュー掲載しました。

さまざまありまして、本年に入って行ったインタビューの第一弾をお送りします。
まずは不登校新聞の編集長、石井志昴さんのお話です。こちらです→
本年二月中旬に行ったものですが、石井さんの印象は遠くから拝見する部分では明るくてオープンな性格の人、というものでした。

実際にその通りの部分が前面にありましたが、いざインタビューに臨まれるときにはきちんとしたインタビューを受けてくれる姿勢になってくださり、実はそれが最初意外な感じがありました。

ここでいったん振りかえれば、私自身もこの個人ホームページでのインタビューの活動は申し訳ないですが、衝動的に始めた部分もあり、そのうちに流れの中、またインタビューにお応えいただいたかたがたのお知り合いの伝手を探るなどして実際真剣に広がってきた経緯もあり、そろそろインタビューの編集のありようを少しブラッシュアップしていくべき局面だろうとも思い始めていたところです。

実際のところ、情報をお伝えすることメインの実用的なサイトにはあまりしたくないし、事実そのような能力がないというところもあり(と書くと、今までインタビューを受けてくださったかたがたに失礼になりますが)、あまり大きな編集はしていないのですが、そのような、「そろそろいい加減には出来ないな」という問題意識がある中、実際に「不登校新聞」という新聞の「編集長」をされている石井さんにお会いしてお話を伺うことは、意味あることであったといま改めて思います。
「不登校新聞」という、創設時において待っていたテーマの新聞と言うことで私自身購読は現在はしていないのですが、やはりどこか記憶の中でも愛着というか、親和性がすごくある新聞です。

前段が長くなりましたが、石井さんの不登校から社会的ひきこもりへの関心への推移のトピックや、若者問題が語られた頃から問題意識を持ち、そこにスポットを当ててこられたこと等々、やはりジャーナリズム精神豊かな側面ははっきり感じました。

明るくオープンなキャラクターゆえに、つい石井さんのすごさを見過ごしてしまい、私もつい石井さんの優しさに甘えて後半にはずいぶん軽口をたたいてしまい、「しまった。またもや・・・」と反省するばかりです。

唐突にこういう結論を持ち出すのは上記の文章と全然つながっていませんが、おそらく石井さんにとって不登校新聞の編集トップをするのはおそらく「天職」なのだろうと思います。あとは、こちらの新聞社周辺からいまの若者の思いを代弁できるある種の若いオピニオン・リーダーが出てくる可能性に期待したいですし、期待できるような直感がします。

相変わらずのロングインタビューですが、本当に読んで面白く、興味深い内容に仕上がっていると思います。ぜひ多くの人に触れていただきたいと思います。

2017年4月15日土曜日

久しぶりです。

お久しぶりです。
このインタビューサイトのブログ更新はお正月のあいさつ以来になってしまいました。
つまりはその後は久しく活動も休止かい?かと言えば、そういうわけではないのでして。けっこう忙しいのでした。
この1月、2月に不登校新聞社の石井編集長など既に4人のインタビューを終え、昨年11月末に行った貧困問題研究の研究者の先生の原稿もまだ掲載前、というのがいまの段階です。

そしてこの4月17日、18日に上京して、アナーキズム研究を行っている政治学者で今ノリにノッている栗原康さんに東京で、大阪では僕が思うにある意味独自の発達研究を行ってこられた浜田寿美男さんにお会いして、お二人にインタビューをお願いしています。

浜田さんは今年ぜひ何とかお会いしたいと思った夢の存在でして、叶えられる時期がこの春の段階であったというのは本当に有難く、幸運なことです。
また、アナーキズム研究の栗原さんは、いま、その弾けるような文体とイケメンぶりで人気急上昇中。私もすっかりこのかたの文章にほれ込んでしまい、本の書き手としては今年の出会いとして最大のもののひとつ(昨年は浜田さん)。
同時にお二人にお会いでき、お話をうかがえるのは運がよすぎて。基本的には、この二週間以上はお二人の本を読み解くことに首っ引きだったわけです。で、合間合間にツイッター、フェイスブック、YOUTUBEで遊んでしまうのだと。そんな感じで、既に終わっているインタビューの作成が遅れてしまっている状況です。申し訳ありません。

あとは、肉体的機能が衰えて老人病院と老人保健施設住まいを余儀なくされている父のコーディネートやお見舞い、認知機能が衰えてしまった母親の簡易な見守りなど、まあまあ。何かとせざるを得ないことがある日々です。

本格的にGW明けにはみなさまがたに少しずついい内容の原稿をお届けできるといまから自負してしちゃいます。

・栗原康さんーいまノリにノッている大正アナーキズム研究者。主な研究対象は大杉栄。パートナーの伊藤野枝さんの評伝が一部で相当な話題。また、エッセイ『はたらかないで、たらふく食べたい』はタイトルどおりのそのまま痛快率直本音のエッセイです。
第10回「わたくし、つまりNobody賞」受賞者でもあります。


大杉栄伝 永遠のアナキズム (夜光社) 

 
村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝 (岩波書店) 
 
 

死してなお踊れ 一遍上人伝 (河出書房新社) 


はたらかないで、たらふく食べたいー生の負債からの解放宣言 (タバブックス)


 
 
現代暴力論ーあばれる力を取り戻す (角川新書)
 
 
・浜田寿美男さんー発達心理学の先生ですが、乳幼児が生まれたときは無能力で、それから周りの環境より自力で自己の機能と周りの道具を利用しながら大人へ成長するという一般的な通念から離れた考え方を持っていらっしゃるかたと思います。人間は周りの環境を受動的に受け止めながら、<能動ー受動>のやりとりのなかで、「人間」としての共同性を育む・・・。だいたいそんな感じでしょうか。一般の発達議論にはなかなかない発想なので新鮮であると同時に難しいな、とも思う。それだけ僕(ら)の「発達観」のとらえが多様でないのでしょう。なぜなら、本の書きかたそのものは非常に読みやすいものだからです。浜田先生は発達研究以外にも精神鑑定の権威としても著名。ゆえに著書も大変多いのですが、以下の本を今回参考にしています。
 
 
 
「私」とは何かーことばと身体の出会い (講談社選書メチエ)
 
 

子ども学序説ー変わる子ども 変わらない子ども (岩波書店)



「私」というもののなりたち (ミネルヴァ書房)


 
子どもが巣立つということーこの時代の難しさの中で (ジャパンマシニスト社)
 
 
今回の取材も「人と社会を考える」このインタビューサイトの趣旨とピタリとはまる人選として巡りあえることと思います。「生」の伸びやかさについて痛快に言葉をつむぐ栗原さん,わたし(人間)を考えるうえでとてもスリリングな読書体験をさせてくれる浜田さん。
良き出会いになれるよう、準備しながら祈っています。












2017年1月2日月曜日

2017年 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
本年も本インタビューサイトをよろしくお願い致します。

昨年は大晦日まで原稿を掲載することができてよかったです。
活動報告として昨年は、横浜で「新ひきこもりについて考える会」に出入りされている元ひきこもり当事者でいまはその経験をベースにして精力的に活動してる4人の活動家のかた、そして北海道大学大学院の3人の先生、(まだ校正前ですが)不登校の親の会の世話人の会のかた、全部で計8人のかたのお話を伺うことができました。3年目で15年、16年の各4名に比べて、倍の人たちから貴重なお話を伺えたのはとても幸いなことでしたし、自分にとってこの活動が貴重な軸となりつつあります。

本年はその勢いに乗り、可能なら10人くらいの人のインタビューを試めれば。それが目標というか夢です。
ただ、加齢に伴い、父親が老人病院に入院し、母親の認知力低下などもあり、親の不測の事態も充分考えられ、それが実際となった場合、しばらく活動の休止もあるかもしれません。

インタビューの内容に関しては「長すぎる」という評価はあるかと思います。お話を伺う人の数が増えるにつれ、掲載内容の方法、読者側の視点、考えなければならないところが増えてきていますが、同時に私のインタビューサイトの特徴として、細部の語りに(例えば)支援について、あるいは読み手がまだ聞いたことが無い意外なヒントも汲み取れるところがあるかと思っています。インタビューをお願いする立場として、お願いした語り手のかたの文脈を最大限大事にしたいということもあります。

いずれにしても、原稿の中にある「(神は)細部に宿る」という思いがある当方送り手側と、同時に、こちらも真剣に考えなければならない「受け手」の気持ち。これは両方を考えながら今しばらく葛藤は続くと思います。素人作業なのでまだ洗練に遠いラフな原稿が多いかと思いますが、「良かったと思うところ、失敗したなと思うところ」は実際から学んで緩やかに変化していきたいです。この辺は今後も勉強です。

今後もインタビューの継続に際し当サイトを(少数でしょうが)応援してくれる人は、豊かな人脈をお持ちのかたも多いと思います。邂逅する機会があればぜひ「こんな人がいるよ」とご紹介戴ければ幸いです。ご紹介戴いたかたについて勉強し、考え、新たな出会いに挑戦していければと思います。

また、インタビューサイトのツイッター専用アカウントを作りました。@euphoni58438661
インタビューに関する情報や所感の一部をつぶやいていくかもしれません。また、bot形式で随時流していくのもあるかな?使用の方法がまだ幾つも見えないところがありますから、こちらもゆっくり歩かせながら考えて行きます。よろしければフォローしてみてください。

それでは、本年もよろしくお願いします。

2016年12月31日土曜日

ヒューマン・スタジオ所長、丸山康彦さんのお話をお届けします。

本年もはや、大晦日を迎えました。
皆さま、どのような一年でしたでしょうか。

本日、今年最後のインタビューとして神奈川県の元当事者活動家の四人目、しんがりとして「ヒューマン・スタジオ」の丸山康彦さんの密度の濃いお話をお届けします。
新年の宵を、遅い時間まで楽しまれるかたも多いと思いますが、別の選択肢としてひとつ、デリケートで深い話をじっくり味わうのも一興ではないかなと。そのように考えるかたがたに、ぜひこの丸山さんの実践活動のお話を吟味していただければと。

この4月に東京で行われた「ひきこもりUXフェス」の翌日に伺った二度目のインタビューですが、冒頭に記したように、二度目のインタビューは丸山さんの支援に関する実践哲学と実際に活動を行っていくうえでの気づきの話にフォーカスをあてたものとなり、このたび久しぶりに読み返して、内容の貴重さぶりにうなりました。このようなお話を無料で伺えることは冥利につきます。

丸山さんの支援の姿勢は、ご本、「不登校・ひきこもりが終わるとき」を読んでも分かりますが、実に深い洞察に基づき、堅実な姿勢で貫かれた、着実で地に足がついたものです。私には「支援」というよりも、「配慮」という言葉こそが丸山さんの実践には適切な気がします。
そして、「配慮」の本質こそ、このインタビューでの語りにおける丸山さんのバランス感覚であり、上つかない姿勢と気づきにそれは尽きる気がします。ですので、私が思う最も良質な「配慮」とは、かなりの精神的なエネルギーを要するものだと思います。そのようなエネルギーの注ぎ方が出来るのかは、おそらくご自身の経験に基づくもので、その経験が誠実で静かな熱い思いを丸山さんの中に滾らせているものかもしれません。

すぐに浮つき、あせり、答えを求めたがる自分の態度も丸山さんとの対話でよく見えてきましたし、このインタビューから自分が学ぶことが多いと改めて思った次第です。丸山さん、本当にありがとうございました。

刺激的ではなくとも、何か新しいものを補給したいかたがた。ぜひ、年明けにこのインタビューを読んで戴ければ幸いです。それではみなさま、良いお年をお迎えください。

とまこまい生きづラジオ 出演しました。





 昨年の秋ですが、友人の藤井昌樹さんが活動されている「とまこまいフリースクール検討委員会」の「生きづラジオ」の第四回目に出演しました。お時間があるかたはゆるゆるとご覧いただければ幸いです。

2016年12月6日火曜日

思春期の問題を研究している加藤弘通さんのインタビューを掲載しました。

本日、この9月30日に行った、思春期の問題研究をされている、北海道大学大学院教育学研究院の加藤弘通准教授のお話を掲載しました。
今回も結構なロングインタビューですが、思春期といえば、のちの成人に移行する際におそらくアイデンティティの基盤をなすであろう時期。ぜひ多くの人にお読みいただきたく思います。

お話は加藤先生の思春期から学生時代の話、ひきこもりについて、教師の役割についての詳細な話、そして即効的な答えを求められる風潮について、果ては老齢期についてなど、話は大変多岐にわたりました。(最後の点は私がかなり引っ張ってしまったきらいがあります)。

それら多岐にわたる話の中でも、特に「荒れたクラス」を研究されてきた加藤先生にとり、教室が荒れるか荒れないかの差異の大きなひとつは面白い授業であるのかどうかに尽きる、教師の授業に対する熱意が役割の本流で、それによって生徒たちが学校の教室が関心の持てる場所になれるという趣旨の部分に語りの比重があると思いましたので、今回はあえて「教師の仕事は「授業」という本道で」というタイトルにしました。

とはいえ、加藤先生はひきこもりの青少年たちの支援に関わってきた経緯もありますので、ひきこもり問題の着眼も大きく、そこもぜひ読み込んで戴ければと思います。

実は加藤先生はけっこう僕が好きだったサブカルチャーにも親和性が高くて、けっこうマンガ、サブカル系の批評家についてなどなどの話でその日はかなりその話題で盛り上がったのです。流石にそこら辺はインタビューから省きましたが、私もインタビューアーとして、つい調子に乗ってその点は話し込んでしまったきらいがありますね。

そのように柔軟で、若者文化にも随分入れ込んできたかたですので、「話がわかる人だなぁ」という印象が非常にありました。
 最近は80年代の終わりから90年代のサブカルチャーの中心の人たちがすでに論壇の中心にいたり、そういう人たちの影響を受けた人たちが裾野広く社会で活躍していることを考えると、僕ももう少し青年時代に関心を持ったものに後ろ暗く思わずに、もっと「好き」を大事に考えておけばよかったなぁ、と今更ながら思います。70年代の「ロンドン・パンク」から始まり、80年代のサブカルはひと通り関心をもって通過したような気がするのですが、いつも自分にとってそれは「後ろ暗く」て、「社会からは糾弾されやすいもの」と勝手に思い込んでいた節があります。

いま、そういうものの洗礼を受けた人に出会える機会が訪れると、自分が思春期青年期に好きになったものを別に後ろ暗く思う必要は無かった、むしろそれらを追求することが何かを生み出す形になるかもしれなかったとも思います。(性格上のこともありますので、なんともいえませんが)。

ひきこもりや不登校、あるいは「学校がつまらないこと」が極まる、その他。若者時代にはいろいろ悩みがある時期ですが、そんな時代も「自分の好き」を否定せずに継続し、むしろ徹底的に追求すれば何か道が広がる、開ける可能性もあるかもしれません。(そのツールでどう自分を生かすかが考えどころでしょうけれど)。
おそらく加藤先生もそのようなことを暗に伝えたかったんじゃなかろうか、と思うのです。

あまりにも「あたり前」な結論の言葉かもしれませんが、やはりそういうものはあるような気がします。

2016年11月20日日曜日

乳幼児研究をされている川田学さんのインタビュー、掲載しました。

お待たせしました。インタビューの更新です。
隔月というペースですが、この8月8日に北大の「子ども発達臨床研究センター」でインタビューさせて戴いた川田学北海道大学大学院教育学研究院准教授のお話を本日、掲載させていただきました。
「子ども発達臨床研究センター」は、教育学研究院の裏手、木々が健やかに生い茂る自然の多い場所に静かにたたずむ瀟洒な建物です。(ちょっと外観は古いかな。それだけに懐かしく馴染みやすい)。

川田先生は乳幼児の研究と幼稚園などでの実践の研究をされているかたで、論文はネットでけっこう読むことが出来ますが、もともとは私にもコラム依頼があった「さっぽろ子ども若者白書」という、乳幼児から青年期まで、研究者から現場のNPOの活動家の実践報告まで載せたほかにあまり見当たらない貴重な青少年報告書で初めて認識したのです。

この白書は子どもや若者支援のNPOなど、市民活動をされている方々のほぼが原稿を書かれていたとはいえ、私は最初は「白書」という言葉のイメージに囚われて、それほど心動かされることなくまず序章の姉崎洋一先生の概観を読み、そして第一章の川田先生による論文、「乳幼児期の発達と子育て・保育の現状」に目を通し始めたのです。そのとき思わず、「何だこれは!これは今までの乳幼児に関する話題を論じた文章とは内容も観点もきっと見たことのない、初めてのものだぞ」とすっかり魅きこまれてしまったのでした。そしてこのかたにお会いして、ぜひともお話を伺いたい、と思ったわけです。

ちなみに、ぼくは子どももいませんし、当然子育ての経験もないわけで、最初は何の期待もしないで読み始めた内容だったのですが、「乳児のときから何か人間のその後における根源がすでにありそうだ」と思ってしまったのでした。今でもその考え、間違いなのかもしれないのですけれど、そう思っている次第です。

そして実際にお会いした川田先生は思った以上に若くて、事前にさまざま読める論文の成熟した印象とはまた少し違う、瑞々しい感じと、柔らかな雰囲気に満ちていました。そしてこちらの話の拙い連想にもどこまでもついて来てくださいそうな柔軟さをお持ちのように感じました。
何よりも嬉しかったのは、素人のこちら側の問いかけにも、けして語る内容を引き下げることはなく、相当な内容を惜しみなく語ってくれたと思われることでしたし、その後レコーダーを起したときにもため息が出るほど濃密な語りをしてくれたなあと改めて思ったものです。(素人だから必要以上に感動したのかもしれません)。

内容は川田先生が自分の研究の参照枠にしているワロンという発達心理学者の話を中心にしながらも、かなり幅の広い話題の展開になりました。
特に川田先生のひとつのターニングポイントになったであろう、学生時代の異性全身介護の重度障がいの女性のかたとの出会い、そして障がいのあるかたたちとの「自立」を巡る議論が大きかったのだろうと思います。
そのあたり、インタビューもたぶんに濃密な内容な分だけ、抽象的な話になっているかもしれませんが、川田先生の話が抽象的に終らないのは、そのような具体的な経験に裏打ちされているからであろうと思います。

たくさんの良い話を聴いてきて、でもその中でも広い意味でも参照枠の多いインタビューが出来たのは光栄な限りです。
「個人は自分の中に他者をはらむもの」。そういう考えがワロンなどから生じた意味などもぜひかつての歴史的経緯なども含めて考えて戴ければ幸いです。
長い内容ですが、関心のある読者様。ぜひ少しずつでも読み進めて戴ければ光栄の至りです。

最後に、今回の参考にした文献をあげておきます。
川田学先生の論文(インターネットで拾えたものより)
・年齢、獲得、定型
・他者の食べるレモンはいかに酸っぱいか
・発達の研究と社会的合意の間で
・異年齢期カップリングの発達学

・ワロン/身体・自我・社会 (浜田寿美男訳・ミネルヴァ書房)
・子ども学序説 浜田寿美男(岩波書店)
・「私」とは何か 浜田寿美男(講談社選書メチエ)

2016年9月22日木曜日

STEP世話人、近藤さんインタビューUP!

 
横浜の老舗ひきこもり自助会「STEP」の世話人で、まだ30代前半の近藤健さんのロングインタビューをお届けします。
飄々としたユーモラスな語り口、温和で柔らかな人柄ながら、ひきこもりの自助会と接点を持つに至るまでに一度大きな精神的なアップダウンを経験、近藤さん自身はひきこもり当事者とは言えないと思いますけれど、ひきこもりの人に対してとても親和性をお持ちのかたです。また、インタビューの後半には社会に関する新しい考えも披露してくれています。

ぼくは話を聞いているあいだ、本当に純粋で天使のような心をもっている人だなという思いを持つと同時に、軽やかな新しい感性に頭の中がクリーンになるような、硬直したこちらの「あたり前」がサラッと「大丈夫?」と問い直しをしてくれる感じがありました。(勝山実さんの『安心ひきこもりライフ』を読んだかたならば、近藤さんの何気ないことばの中にハッとするような新しい着眼点を見つけることができるでしょう。所謂ひきこもり支援者の人にぜひ読んでもらいたい内容です)。

おそらくまだ「これ」という枠組み、というものでは固まっていないかもしれないとしても、実に深い思索の力を持つ人だと思いました。「新ひきこもりについて考える会・読書会」でもどんどん鋭い角度から言葉を発しておられている印象があります。今後が楽しみな人なのでぜひ先物買いだと思って、雑談的な要素がありつつも、このロングインタビュー、読んでくださったら嬉しいです。
こちらも4月のUXフェスの次の日のインタビュー。こちらの諸般の事情で近藤さんに校正をお願いするのが8月下旬になってしまい、掲載が遅れてしまいました。お詫びいたします。

近藤さんが世話人をつとめる自助会「STEP」さんのホームページはこちらです。

2016年7月28日木曜日

10代と50代 不登校体験を語る


 上記のタイトルで朝日新聞の教育欄に記事が載りました。
 対談をさせていただいた本橋璃央さんはNHKのハートネットテレビのドキュメンタリー的な番組にも出ていて、想像通りの人だなと思いました。
 初めてお会いしてみて、意志的な目がとても印象的でした。外側に向かって悩みながらもぶつかっていく姿勢を感じて、個人的には強い子じゃないかな、僕が16のときとはぜんぜん違うな、といろいろな意味でうれしかったのです。(ご本人はつらいことも多いとは思いますが)
 
 意志があること、角がたつことは僕は10代にとってもとても恐れていたこと。彼女もそうだとは言ってましたが、乗り越えていこうという姿勢は僕は番組を見ていてすごくかんじたし、すがすがしいなぁと思いました。

 通りすがりの人間は黙って話を聞いてそこで終ればいいのですが、中年ダメオヤジの嫌らしさで新聞記事をこうして宣伝しています。

 本を売りたいのですよ。買ってくれ~~ってね。
 いやらしい。若者よ、絶対反面教師にして欲しい。

2016年7月23日土曜日

林恭子さんのインタビューを掲載しました。

横浜と都心で活躍されている元ひきこもり当事者、林恭子さんのインタビュー、大変遅れてしまいましたが、掲載させていただきました。
元々、東京で行われた「ひきこもりUXフェス」後に注目していた横浜の活動家三人の方へのインタビューのラストのおひとりでしたので、UXフェスの二日後、4月18日に行ったものです。随分掲載が遅くなってしまいました。

五月の中旬頃から両親ともに心身の体調が悪くなり、個人的に家族内調整に時間をとられるようになってしまいました。現在もそれは続いてはいるのですが、時期的に6月くらいが一番大変だったので、林さんご自身に校正原稿をお渡しするのがずいぶん遅くなったのは、手前の不手際ゆえです。

インタビューは林さんのいままでのライフヒストリーを網羅した内容で、ひきこもりに関心のあるかたには是非読んでいただきたい、たいへん貴重な内容です。実際、勝山実さんも含めて加えた四人の方の体験的インタビューは格別な説得力があり、今後も掲載していきますけれども、注目しておいていただきたいと思います。

林さんに関してはタイトルを「管理された身体からの解放」としましたが、適切かどうかはわかりません。私の、話を聞いた全体の中での直観にもとづいてそのようにつけました。林さんの語りはどの局面をとっても貴重な内容なので、タイトルというものをつけるのは難しかったのです。ただ、やはり「管理される身体」の問題は、いま現在の若い人たちにも通ずる大きな要素だと私は思うのです。

林さんは管理されることに疑問を持ちながらも、「人を傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だ」という優しさを抱いて、そこで命を懸けて苦しまれてきた方です。
「優しさと根底的な疑問」が不問にされる不条理の狭間の中で生きてこられた。その場で話を聞き、聞きなおし、原稿を何度も読みながら、考えたことの大きなひとつはそのことでした。

ひきこもりのひと一般、とはもちろん言いませんが、必要以上のものを背負ってしまった苦労を抱いてそこに生きる時間の多くを割いたというひきこもりの人は多いのではないかという気がします。

でも、私はそこで希望を損なわれた、時間を無駄にした、何かの犠牲者だと思うのは早計だと思います。(もちろん、そう思うときは当事者自身としてもあることですが、そこに絡めとられる必要もないということです)。

林さん自身が意識されていたかは分かりませんが、一生懸命に自分と向き合って、まっすぐに悩みきったぶん、ちゃんと出会うべき人に出会ってきた、良い人と出会ってきたんだろうなという気が非常にします。その結果として、ひきこもり史の真ん中のみならず、「不登校」界隈でもポイントとなる人と会ってきている。そういう行動を取ってこられたし、そういう人たちのレスポンスもちゃんと受けてきたんだろうなあと思いました。それは才能ではないかと思いました。

実は、実際に出会った林さんはひきこもりの「ひ」の字も似合わないような、キャリアウーマンと見まがうかのような人でした。根本的な素養が備わっていた分、凡庸な自分は素朴に、「惜しい時間を過ごされたんだろうな」と生意気にも感じてしまいましたが、恩師の泉谷閑示さんが仰っていたように普通の人が行かない道の先頭を歩く人なのでしょう。

活動の場所もずれてはいない。いまはUXフェスのあと、UX会議として「女子会」が始まっていますが、そういうトレンドもある必然性を持つ林さんには適宜適切な意味と動きの中にあるといえると思います。

2016年6月30日木曜日

地元ジャーナル紙のインタビュー記事を掲載しました。

地元老舗ジャーナル誌、『北方ジャーナル』昨年12月号に掲載された個人インタビューを、取材してくれたひきこもり、不登校関係の専門ジャーナリスト、武智敦子記者の了解を得てこのホームページに再掲させていただきました。→こちら

話は3時間以上した記憶があるので、かなり広範でけっこうディープな内容になっています。
自分でも何を話したか覚えていない部分も多くて、不登校、フリースクールなどの話はかなり印象論で語ってしまっており、その点は大変申し訳なく思っています。その領域を知っているわけではないのに......。

そのように軽はずみな発言もありますが、インタビューの最初と最後は結構、思いはその通りのものです。
また、いま時期の課題がラストにやや予言的に述べられているところもあって、興味深いです。

いまの自分は父親の身体介護、母親の認知力の問題と、親介護の問題が一挙に両方持ち上がってきていて、医療介護領域の方々とコーディネートしたり、身体問題がない母親の見守りとなかなか自由にならない身になりましたが、いずれも通らねばならないことであり、ひきこもりかそうでないかは関係なく、親介護の問題というのは中年世代が突き当たる新しい認識へ向かう重い扉です。

変わらなければならないことと、変わってはならないこと。いまはまだその整理はうまくつきませんが、それを自分の中できちんと仕分けしていく必要を感じています。

今度の選挙もそうです。国や人びとが大きな目標を掲げてそれを夢見て手足を外へ外へ広げていく開拓者モードで行くのか、それとも「生活」という「日常」にかかずらわる精神のウエイトの方向へ行くのか。そういう選択でもあると思っています。

個人的にはこの成熟した社会では「POWER」志向ではなく。「COURAGE(精神力)」の時代に入っていると思っていますが。

2016年5月29日日曜日

新ひきこもりについて考える会・5月読書会参加。

 昨日は横浜で行われている『新ひきこもりについて考える会』5月読書会にこちらのインタビューサイトである「ユーフォニアム」を取り上げてくれるということで、会の世話人のかたがたにワガママをお願いして今回はスカイプで参加させていただきました。
 前回のブログ案内の通り、4人のインタビューの内容をとりあげ語り合いました。
 スカイプの音声はとても良好で、みなさんのほうにちゃんと声が届いたようだし、こちらもみなさん(参加者10名)の全員の声はよく聞き取れました。

 まず、改めて確認しておきたいのは、1月の読書会で横浜に参加した際の『ひきこもる心のケア』の話し合いに出て、少なくともひきこもりに関する集まりについては自分としては「この場はすごい」「こういう場所を自分は求めていた」ところで。その上で、いま自分が具体的に行っている活動はこのインタビューサイトなわけで、そこに着目してくれたのも「考える会」が初めてだったし、それを読書会に取り上げるという、おそらく読書にHPを使うのも滅多にないことだと思うので、本当、光栄でした。そして何より、初めて公に自分のいまやっている活動が認められたなと率直な喜びがあったのです。

 内容に関しては特に釧路で困窮者自立支援制度の活動を行っている昨年3月末にアップした櫛部武敏さんが大変好評で、それからひきこもり名人、勝山実さんのインタビューが好評でした。
 実は予習的に今回取り上げてくれた4人のインタビューは読み返したのですが、やはり櫛部さんのインタビューはいま読み返しても「すげえな」と我ながら改めて思った次第。櫛部さんの語る内容の深さ。行動とその振り返りと、教養とそれら全体が自らの中に統合された大人の知恵。そして生きざまのありようのかたち。かといって立派なだけじゃなくて、「恥じらい」や「照れ」や「反省」も大事にされるかたなので、人間的な魅力はどうしても「ありあり」です。困窮者支援の概略も含めて櫛部さんのインタビューの感想はこちらの過去ログをご覧下さい。

 勝山さんのインタビューは前編後編に分けての長文で文字通り「長いですね」という感想があり、「でも時間が有ったので全部読みました。面白い」とありがたいやら、苦笑いするやらで。結構インタビューの枠組みを離れて雑談モードの中身でも面白く読んでくれたんだなあと感謝するばかりです。これはもう、勝山名人の語りの才能にこちらがおぶさったとしか言えず。本当にこれもありがたいこと。

 今回はスカイプで音声参加したので、自然な自分の会話が反映できました。個人的な振り返りのためにレコーダーで夕食以後ずっと聞き返したのですが、自分の話しかたに関して言えば、語られている話題に対する自分の考えやそれに付随する想像と、みなさんの話の全体とを両方かぶせて話をしようとする傾向があるんだなあと思いました。そうするとまとめようとする意思はないつもりだけど、何となくまとめ的な話しに持っていく方向がある気がします。それできれいにまとまればいいんだけど、途中で「あれ?この点の感想忘れてる?」とか、「元々話そうと思っていたことがずれてきてるぞ」とか考え始めて、何となく「もぞもぞ」「ぐにゃぐにゃ」な感じになることも多々ある。

 要は、思ったことは思ったときに口にすればいいんですが、元々そういう風に話すことに慣れてないせいなのか、性格なのか、環境的にそういう振る舞いを選択するようになったのか。それはわかりません。でも、もっともっと、思ったことは思ったときに口にする癖を少し増やしたいな。苦手な部分なので。

 あと、ときおり滑舌が悪くなるときがある。これは明らかに聞き手が聴き取りに困るので直したい。ま、簡単にはいきませんけど。こういうことは自分の年になると人から指摘されなくなるので、自分で気づいていかないと。

 SSTとかは外部から訓練的にされるのは嫌ですが、この読書会の場は素敵な、話したいことも聞いてもらえる場所なので、その現実をもっとじぶんとみなにうまく循環できればいいと思うので、多少こころがけたいと思いました。7月の読書会もスカイプ参加どうぞ、と言ってくれたので、ありがたくまた参加したいと思います。嬉しいな。

 さて基本的には自分はやはり話すより「聴く」のが好きだし(あえていえばだけど)、得意はそっちかな、と。「パッシブを生かしながらそれをアクティヴに変えていく」作業に今後も軸足を置いていきたいと思います。そうするとそれはやっぱりインタビューになるだろうと思います。
 インタビューに関して言えば、提供に関して「編集をあまりしない(出来ないというのが正確?)ライブ感覚のインタビューでいいのか?」ということに関しては、当面この方向でいい、という風にして行こうと思っています。
 聞き手が素人だなあというのがありますけど、聞く対象のチョイスは悪くないと思う。この自分の直観でまだまだ当地でも話を聞きたい人は頭の中にはたくさん浮かぶので、「人文社会」の枠で何でもアリは続けて行きたいものです。アンテナも張っていかないとね。

 今後は横浜のひきこもりに関する活動家の人たち三人を順次、ペースは少しゆったり目かもしれませんけど、いい話が満載ですので、どうかひとつ、このインタビューサイト・ユーフォニアム、よろしくお願いします。